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孤独を好む

好きじゃないのない友達と一緒に食事をして

夏休み

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夏休み

25年ぶりにつながったイトコのマコちゃんのおかげで
母方の親戚事情がだんだんわかってきた。

キレイさっぱり忘れていたコトを思い出したり、
思い違いをしていたコトがわかったり、
ぜんぜん知らなかったことを初めて知ったり…。

昨夜は、ベッドに入ってから目を閉じて、
美濃の祖父母の家のレイアウトを
一生懸命思い出してみた。

玄関を入ったところは土間になっていて、
右側に、オフィスのような部屋があったような気がする。
左側にあった部屋には、ガラスの目玉が不気味な
ワニの剥製が置いてあったような気がする。
確かどこかにキジの剥製もあったような。

祖父は、コッカスパニエルをかわいがっていた。
ディズニーのアニメ映画に出てくるような犬だった。
でも、私がセントバーナードだと思い込んでいた
マコちゃんちの犬は秋田犬だったというから、
祖父の犬も違う種類だったのかもしれない。

コンクリートの床の廊下をはさんだ右の部屋には天窓があり、
その部屋で祖母は、和紙を漉いたり紙を巻いたりしていた。
「おばあさんは本当に働き者だった」と母から聞いたことがある。

コンクリートの廊下をまっすぐ行くと、
土間の台所があり、離れ小島のようにお風呂場があり、
台所でお風呂を焚くようになっていた。
お風呂は恐怖の五右衛門風呂だった。

家の一番奥にあったのは、これまた恐怖のお手洗い。
和式だったのはもちろんのこと、水洗でもなかったので
私は毎回落ちたらどうしようとおののいていた。

台所の左側には、いつも祖母が座っていた部屋。
その部屋にある階段の下の段々部分はひきだしになっていた。
たぶん、宮大工をしていた祖父の手作りだったはず。
きっと家中の家具が祖父の手作りだったのだろう。

タンスの上にはお菓子の入った缶の筒があり、
祖母はいつもその缶からお菓子を出して
私たちに食べさせてくれた。
缶の中からは、湿気ったおせんべいのような匂いがした。

ひきだし付きの急な階段を上がって行くと、
私たちが泊まる部屋があったように覚えている。
それともあれは叔父さんと叔母さんの部屋だったのか。
屋根の物干台につながる窓もあった。

その二階とはつながらない玄関側にも二階部分があり、
そちらにはイトコのお兄ちゃんやお姉ちゃんの部屋があった。
その二階に上る階段がまたものすごく急勾配で、
幼い私はいつもビビリながら上ったものだった。

私の母は7人兄妹だったというから、
あの家にはたくさんの寝室が必要だったのだろう。
忍者屋敷のようにたくさん部屋があったような気がする。

夏休み、美濃に滞在していた時におたふく風邪に罹った私が
浴衣姿でものすごい顔して笑っている7歳頃の写真は、
大きくなってから見て驚いて、あわてて破って捨てた。

道路拡張のためか何だったか忘れたけど、
私が高校を卒業する頃、
その懐かしい家は取り壊されてしまった。
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